今日はカラコルムに向かう。起きたら雪が降っていて気温は-8度。さすがに凍えそうだ。モンゴルでは、近年冷害が頻発するようになり、今年も豪雪により家畜の10%近くが死んだらしい。宿の人にタクシーをチャーターしてもらい、バスターミナルに向かう。バスより高くついたが、タクシーの運ちゃんがタバコやらポップコーンやらくれたので、まあよしとしよう。結局、昨日行ったターミナルと違うターミナルからの発車だったので、タクシーで行かなければ乗り過ごしていた。バスチケットを買いに行き、カラコルムとだけ連呼しなんとかチケットを購入。寒いので外に出たくないが、乗り遅れると厄介なので、バス乗り場に向かう。どのバスかわからないので、チケットを見せて教えてもらう。何人かに聞き、やっと目的のバスを見つけることができた。車内には観光客らしき人はいない。観光客は来ないのか英語での案内もそこまで多くない。発車は30分以上遅れた。発車しても、途中で乗客のピックアップやら荷物の搬入やら給油やらで全然進まない。やっと進み始め、雪原に入ったかと思ったら渋滞にぶつかった。何かと思ったら、雪のせいで道が塞がれたのか、事故なのか分からないが、通行止めになっていた。横のオフロードから来たランクル達も次々とスタックして30分ほど立ち往生していた。ただでさえ遅れているので勘弁してくれと思ったが、待てども進まない。気が詰まるので一旦トイレついでに外に出ることにした。無愛想な運転手にドアを開けてもらい外に出ると、広大な雪原が広がっていた。よく見ると馬もいる。野生なのか放牧なのかはわからない。やっとモンゴルに来たなという実感が湧いた。-8度の気温に加え暴風が吹いており長時間の滞在はできなかったので、バスに戻った。2時間ほど停車し、もう今日中にはカラコルムに行けないのではないかと思った時、前の車が動き出した。長かった。これで3時間遅れにはなるが、たどり着く希望が見えてきた。


バスは順調に進み、18時ごろに1回目の休憩に入った。出発から実に7時間である。私は通行止めの間にトイレに行ったが、半分以上の乗客は行っていなかった。モンゴル人は膀胱が大きいのだろう。休憩所は日本で言うSAのような役割なのだろうが、トイレに行ってみると、戦前からありそうなでかい穴の上に木の板を敷いただけのトイレだった。簡単に下に落ちてしまいそうなので少し距離を空けて用を足した。トイレを終えると、乗客が全員同じところに向かっていたの付いていくと、食堂があった。少しキレイめ(結構タイプ♡)な篠原ともえ似のおばさんが、手際よく客を捌いていた。私も急いで料理を注文した。文字が読めないので適当に注文し、出てきたのは、羊と野菜と水餃子のスープだった。モンゴルの味付けはシンプルな塩味なので、万人受けしそうな味である。食事を終えると、おじさんに声をかけられた。何を言っているのか分からなかったが、タバコが欲しいらしい。「持ってないよ。」と日本語でいい、なんとかかわした。モンゴルの喫煙率はおそらく高いのだろう。しばしば煙草をもらったり、ねだられたりするので、私も煙草を持ち歩くことにした。
休憩を終え、バスは順調に進み、20時30分ごろに到着した。モンゴルは3月にもかかわらず、20時くらいまで明るいが、流石に真っ暗になっていた。カラコルムはかつての栄華の名残は全くなく、街灯のほとんどない地方都市になっていた。タクシーも見当たらないので、歩いて2kmほど先のホステルに向かった。知らない海外の田舎町を夜に一人で歩くと言うのは怖いところがあった。野犬もいるようだ。特に迷うこともなくたどり着いたのだが、どこも真っ暗で入り口がわからない。入口らしきところには南京錠がかかっており、明らかに閉まっている。ノックしても誰も出ない。私はドキッとした。そういえば予約した際に、普通はチェックインの時間を聞くメールが届くのだが、今回は来ていなかったのだ。いつでも受け付けてくれるのだと思い、そのままにしていたが、冬季でホステルが閉まっているのにもかかわらず、予約サイトに載ったままになっていたのでないかと思った。モンゴルの冬季は完全なオフシーズンで観光スポットも休みが増え、営業時間が短縮される。そういったことも往々にしてあり得るのだ。横の芝生にテントでも張って寝てやろうかと思ったが、通行人がいたのでダメ元で話しかけてみると、そこの人と知り合いだったらしく、オーナーを呼んでくれた。どうやら庭にあるゲルにいたようだ。予約を見忘れていたらしく、急いで準備をしてくれた。モンゴルでは、ゲストハウスという名前はついているが、実態はゲルに泊まるという場所が少なくない。ここも同様でベッドが5個あるゲルに案内された。1泊2700円くらいするので、一人で使うには高いが、複数人にはもってこいだ。モンゴルは、ウランバートル以外の都市は宿代がかなり高い。観光業があまり発達しておらず、宿の数も少ないためだろう。ゲルの中のストーブで薪を焚いてくれた。すぐにゲルの中は暑いくらいになった。もう時間も遅いので、シャワーを浴び、就寝した。このホステルは概して素晴らしいのだが、ゲルにロックをかけられないところと、シャワーの水圧が弱いところだけは勘弁して欲しい。ゲルのロックがないのは早朝に薪を足しに来てくれるためだと思う。しかし、娘の方はノックしてくれるのだが、父の方はノックしないで入ってくるので、リラックスしている時に来られると。びっくりしてしまう。いい人ではあるのだが。あとシャワーだが、シャワーヘッドがとんでもなく軽い。だから水圧も弱い。寒いので勘弁して欲しい。

8時前に起床した。夜は少し寒かったが、どうやら早朝に薪をくべていてくれたらしく、部屋は暖かかった。このゲストハウスも朝食が無料でついている。パンケーキのようなものにジャムが塗られたのとコーヒーを食した。ウランバートルの宿の朝食と比べれば上等だ。朝食を食べ終え、街に繰り出す。少し郊外を巡ってみたが、かつての栄光の見る影もない。道路に寝ている野犬(飼われている?)は毛がふさふさで凛々しい。後で調べてみると、モンゴリアン・マスティフという犬種で、体長は80cm後で、体重は重いものだと110kgに達する。警戒心が強く、主人以外にはなつかないことから、古くから遊牧民の番犬として飼育され、泥棒や狼から家畜を守っていたようだ。ぜひ一戦交えてみたいものだ。結構いい勝負ができるのではないかと期待している。話は戻るが、郊外には特にみるものもなかったので、街の中心部に行った。特に何もない。モンゴルには途上国特有の活気が感じられない。社会主義の名残なのだろうか。人口が少ないのもあるだろうが、モンゴルが発展することはないだろうと思ってしまった。
カラコルムの唯一の見どころはエデルニ・ゾーだ。これは16世紀に建てられたチベット仏教寺院である。寺の敷地は全て白い塀に囲われており、各辺の長さは200m以上ある。遠くからでも見えるデカさだ。中に入る前に、近くに7世紀ごろに作られた亀石があるので見に行った。昔のものとは思えないほど精巧な作りだ。その近くには遺跡があるらしく、ドイツとの共同研究の詳細が書かかれた看板が立っていた。塀の周りを一周していると、バイクで家畜を放牧していた。カラコルムなどの田舎では、町の中心部に居住しながら、家畜を飼っている家庭も多いので、町の中心部においても放牧する遊牧民の姿を見ることができる。我々日本人がモンゴル人に対して持つステレオタイプ通りの景色に感動してしまった。
エルデニ・ゾーは入場料で10,000Tgかかると言う話だったが、中に入っても料金所のようなところはない。馬鹿でかい塀に囲まれているが、モンゴル人民共和国(1924-92)の時代にほとんどが破壊され、中はほとんど何もない。歩きながら色々観て、一番奥にある寺に入った。中では僧侶がお経を唱えており、趣があった。私も四国88か所徒歩巡礼で般若心経を暗唱できるようになった仏道修行者の端くれであるので、参加しようと思ったが、どうやら宗派が違うようだった。次に一番大きい寺に入ろうと思ったが、入っていいのかわからない。モンゴルはどこもそうなのだが、観光地などでもドアを開放しておらず、自動ドアにしていないので、開いているのかわからない。ドアにはロックのようなものがかかっており、入って怒られたら怖いので様子を見ていたら、欧米人のツアー客が来て、その中に入って行ったので、それに便乗して中に入った。10,000Tgかかると言う話だったが、それは夏のことであり、オフシーズンである冬にはそもそも寺の中が開放されておらず、お金も取られないようだ。カラコルム唯一の観光地なので、オフシーズンでも空けて欲しいものだ。


エデルニ・ゾーを見終え、カラコルム博物館に行った。ここは日本の協力の下作られたせいか、日本語の説明もあるので楽でいい。カラコルムの歴史遺物が、石器時代からモンゴル帝国の時代まで飾られている。ここの展示で面白い説明を見つけた。オルホン川流域の遺跡にハルバルガス遺跡というものがある。これは、8世紀から9世紀にかけて隆盛した東ウイグル国の都城オルドゥバリクの都市遺跡である。これが博物館から35キロ地点にあるようなのだ。てっきり遺跡はもっと遠くにあると思い諦めていたので、これなら歩いていけるじゃないかと思い、その場で次の日のハルバルガス行きを決めた。カラコルム博物館を出て、先ほど見なかった残りの2つの亀石を見に行った。地球の歩き方に書かれている2つ目の亀石は見当たらず、Googleマップにも載っていなかった。間違っているのではないか。もう一つはエデルニ・ゾーから2キロほど南へ行ったところにある。小高い丘にあるので少し疲れた。強風のため、そこまでじっくりは見られなかったが、景色はよかった。
帰りにキングレストランという評判のいいレストランでツォイワンとミルクティーを食べた。モンゴルのミルクティーは甘くなく、しょっぱいので初めは面食らうだろう。最初店に入った時、VIPルームのある小綺麗な感じだったので、高いとこに入ってしまったかなと思ったが、別に高くはなかった。お腹空いていたらもっと美味しく感じただろう。宿へ一旦戻り、明日のための食料を買いに行った。準備は満タンだ。夜はハルバルガスへのルートを検討したが、大草原が広がっているだけなので、方角だけ合わせて歩けばいいことに気づき、放棄した。その後、植村直己の「青春を山に賭けて」を読み、探検欲を高めた。
9時に起床。朝ごはんを食べる。朝ごはんに出てきた炊き込みご飯が美味しかった。今日は乗馬ツアーをオーナーに申し込んだので、11時ごろにオーナーの車に乗って出発した。乗馬だけかと思っていたら、色々なところに連れて行ってくれるらしい。オーナーが街の中心部にある銀行に寄っている間、車の中で待機していると、馬に乗って銀行に来た遊牧民を目撃し衝撃を受けた。帰ってきたオーナーに聞いてみると、町外れに住む遊牧民はまだ馬を移動手段として使っていると言っていた。道中で、「今日からキャンプをしながらハルバルガスに行こうと思っているが、テントを張るのはどこでもいいのか?」と聞いたら、「yes, everywhere!」という頼もしい答えが返ってきた。世界遺産なのでその辺は厳しいと思っていたが、そうでもないようだ。


草原の中を延々と走り、最初にゲルキャンプのようなところに行った。そこには砂丘があり、そこで1時間ほど滞在した。砂丘の砂は粒が細かく水のように斜面を下って行くので、眺めているだけでも面白い。次は岩山に行った。とんでもなくゴツゴツした山だった。少し登ったが、いい感じにロッククライミングできた。ここにも寺院の他に遺跡のようなものもあったが、有名な場所なのかはわからない。その後大草原の中でランチをとった。ニンニクで肉や野菜を炒めたものを小麦粉の生地でサンドしたのが出てきたが、美味しかった。モンゴルで1番かもしれない。匂いに誘われて、前述したモンゴリアンマスティフが来たので少し戯れた。戦闘準備は出来ていたが、好戦的ではないようだった。
ランチのあとはついに乗馬だ。オフロードを延々と走り、草原のど真ん中に停車した。見渡す限り地平線だった。ここで乗馬なんてできるのかと思ったが、これから遊牧民がバイクで迎えにきてくれるらしい。迎えにきたバイクについて行くと、彼らが暮らすゲルがあった。モンゴルのツアーは観光客用の施設ではなく、本物の遊牧民に体験させてもらえるみたいだ。まずゲルの中に入り、家族に挨拶する。ゲルの中は入って左側が客人、右側が主人用らしい。3人家族で、小学生にも満たないくらいの子供もおり、可愛い。皆いい人そうだ。お菓子を食べ、何やら瓶に入った香水のようなものを嗅がせてもらった。主人が直接嗅ぎにこいというので、行こうとしたらオーナーに止められた。Chinese tobaccoと言っていたので、多分アヘン的なやつなのだろう。その後に主人の引っ張る馬に乗せてもらう。乗るのも大変だが、乗ってからも不安定で大変だった。馬に乗りながら弓を射るなんて絶対できないと思った。乗馬中は主人と2人きりだった。言葉も通じないので、とりあえずニコニコしていた。主人もかなりフレンドリーで、写真も撮ってくれた。いい人だ。途中休憩で馬を降りた時、馬が排尿していた。噂に聞く通りでかいイチモツだ。乗馬が終わった後、馬は前脚を縛られ、動けないようにされていた。可哀そうだとは思うが、部外者の私が口の出す権利はない。それでも彼は懸命に歩き続け、気づくと500mほど先まで移動していた。その後、少しゲルの中で休んだ。ゲルの中を観察すると、ガスや電気は通っているみたいだし、Wi-Fiもあった。近代的な技術が取り入れられている一方で、遊牧という古典的な生業がそのまま残っているのは興味深かった。

乗馬を終えてゲストハウスに帰った。すぐに準備してオーナーに挨拶しに行った。彼は「何かあったら電話してくれ」と電話番号を教えてくれ、ハルバルガスの行き方まで教えてくれた。海外での野宿は未経験なので、不安は絶えなかったが、オーナーの優しさと植村直己の本のおかげで気分も軽くなった。出発する時には19時になろうとしていた。住宅街を抜け、オルホン川を横切る橋を渡ろうとすると、若い男に声をかけられた。彼はモンゴルの一般人にしては珍しく英語を喋った。「どこに行くのか?」と聞かれたので、「ハルバルガスだ。」と答えると、「テントは持っているのか?」と聞いてきた。心配してくれているみたいだ。「持っている。」というと、「そうか、グッドラック。」と言って去っていった。3kmほど歩き、町もみえなくなった。流石に薄暗くなってきたので、周りに何もないオルホン川のほとりにテントを建てることにした。テントを建て終え、空を見ると、星が綺麗だった。正直今日は寝られる気がしないが、なんとか夜を越そうと思う。

なかなか寝られなかったが、1時ごろには眠りについた。近くにゲルがあるらしく、犬に延々と吠えられ続けたため、早めの6時に起床した。あまり寝られなかったので、睡眠不足間は否めないが、体調は悪くなかった。お湯を沸かし、白湯とクッキーを食べる。紅茶を持ってき忘れたのは大失態だった。アウトドアには紅茶が必須なのだ。紅茶があればもう少し優雅な朝が迎えられただろう。テントを片付けて出発する。昨日は暗くて気づかなかったが、崖の向こうにゲルが立っていた。ずっと吠えていたのはそこの番犬だった。ビビるので、夜吠えるのはやめて欲しい。ゲルの横を通り過ぎようとすると、永遠と吠えられた。優秀な番犬だ。しばらく歩くと、川と車道の間が広くなり、オルホン川の横には広大な平野が広がるようになった。その平野には、氷に削られた後なのかわからないが、多数の亀裂があり、その下には羊やヤギなどの死体が転がっていた。途中凍っていないオルホン川の支流があったので、水を汲もうとしたら、踏み出した足が水にドボンした。雪の地面かと思っていたところは泡だった。見返してみても表面はごつごつしていて雪のように見えた。完全に騙された。しかし、西の丘から流れてくる支流を何度も渡渉しなければならず、結局靴はビチョビチョになる運命だったのだ。晴れていたので良かったが、ゲイターを持ってくるべきだった。草原の景色は広大で美しい。広大すぎてカメラでは伝わらない。しばらく歩いていたら、後ろからバイクが走ってきた。話しかけられたが、何を言っているかわからない。とりあえず単語だけを発し、ハルバルガスに向かっていると言ったら、「グッドラック」と言い残して去っていった。その後も、遊牧民が乗る車やバイクが通りかかるたびに、近づいて話しかけてきて、後ろに乗せようとしてくれた。モンゴル人は怪しいことをしている人を見かけても怖がらないのだろうか。お腹がすいたのでお湯を沸かし、昨日買ったぱさぱさのパンを食べた。多分味はまずかったと思うが、大自然の中で食べたので格段においしく感じられた。

昼食を食べて歩き出すと、すぐ馬に乗った遊牧民の少年に出会った。私が迷っていると思ったのか、ハルバルガスと言ったら、あっちだと指を刺している。とりあえず何かわからないので、ついていったらまたあっちだと違う方向を指し、3回くらい方向を変えて歩かされた。方向が違う気がしたが、とりあえずわからないのでついていったら、最後にチップを要求された。歩きやすい道を教えてくれたのか、新手の詐欺なのかはわからない。その後は渡渉できる位の川幅の場所を見つけられず、かなりさまよったが、それ以外は順調に進み、16時ごろに目的地4km手前で野営。遠くにハルバルガス遺跡が見える。読書や昼寝をして優雅な時間を過ごした。
起きたら8時を過ぎていた。かなり体に疲れが来ているようだ。そしてかなり寒く、4時ごろに寒さで起きて、寝袋を2重にして寝た。おそらく-5度を下回っていただろう。テントを開けて外を覗くと、草原一面に霜が降りていた。朝食を食べて9時30分ごろに出発する。残り3kmほどであったので、すぐに到着した。7kmくらい手前から「あれじゃないか?」と思っていた通りのものだった。7km手前からでもわかるくらい大きい。10メートルほどある土壁を登り、中をのぞいてみると、確かに都市の痕跡があった。西南側には大きな塔が立っている。1000年以上前の都市遺跡が残っていると言うだけで感動ものだった。少し土壁の上から眺めた後、中に入って塔の上から全体を眺めた。その時、バイクに乗った男が土壁の隙間から入ってきた。どうやら観光客ではなく現地の遊牧民のようだ。彼は雪に埋まって動けなくなっていた馬を救出してから私の方に来た。私は靴擦れが痛く、サンダルで散策していたので、「そんなので大丈夫か?」と言っているようだった。向こうに荷物と靴があるとジェスチャーで伝えようとするが伝わらなかった。確かにサンダルだと滑るし危ないので、一旦荷物を置いたところに戻った。遊牧民の男は、塔の上に登り、何やら祈りを捧げているようだった。ウイグルの子孫を自認する人々の信仰の対象になっているのかもしれない。その後一通り遺跡の中を見て回ったが、発掘作業の跡などもあり、まだまだ何か遺物が出てくるのではないかと思うと、楽しみだった。

遺跡の中を見て回っていたら、12時を回っていた。急いでカラコルムに向けて出発する。荷物の重さで肩がやられているのか、すぐに疲れてしまう。途中で昼食をとったり、雪から水を作っていたりしていたら、16時をすぎてしまっていた。雨も少し降ってきたので、カラコルムから18kmほどの地点でテントを張ることにした。テントを張り終え、荷物をテントの中に入れようとすると、馬に乗って近づいてくる人影があった。近くのゲルに住む遊牧民の老人だった。彼は私が首に下げていた双眼鏡を見て、私も同じのを持っていると双眼鏡を見せてきた。私の双眼鏡に興味を持っていそうだったので、双眼鏡を見せ合い、双眼鏡トークに興じた。中々いい人そうだ。その後少し会話し、その老人が「寒いから家で休憩していかないか?」と言うので、ついていくことにした。ゲルの中に入ると10歳くらいの女の子が勉強していた。こんな僻地からでも学校に通っているのだろうか。おもてなしのお菓子(おそらくチーズ)を食べ、野菜と羊のスープを饅頭と一緒にいただいた。おもてなしのお菓子はとんでもなく固く、味もしなかったので、食べ物ではない何かを食べてしまったと思ったほどだ。その後続々おばあちゃんやお父さんらしき人が入ってきた。彼らは私と積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれた。なんとか意思疎通を図り、「今日の19時にカラコルムに行くから乗るか?」と言っていることがわかった。カラコルムの学校に通う娘を町まで送り届けに行くようだ。足も痛いので、その言葉に甘えることにした。

車が出るまでの2時間ほど遊牧民の仕事ぶりを眺めていた。彼らは携帯などを持ってはいるが、遊牧のスタイルは昔ながらのようで馬に乗り家畜を誘導したり、鞭で牛を追い払ったりしていた。しばらくすると、昨日私を道案内した少年が馬に乗って帰ってきた。どうやらここに住んでいるみたいだ。彼は私を見るとばつが悪そうに目をそらした。今は繁殖のシーズンなのか母と娘が羊に授乳させようと仔羊を捕まえていた。10歳の娘は羊に振り回されていた。なかなか力の入りそうな仕事なので手伝おうかと思ったが、おそらく足手まといにしかならないだろう。19時30分ごろになり、車が来た。隣の席には例の少年がいた。何かの因縁だろうか。30分ほどでカラコルムに着いた。彼らにお礼を言い、とりあえず町の中心部へと歩き出した。もう夜なので今から泊まれるホテルはない。幸いこの前町を散策した時に野営できそうなところの目処はついていたので、そこに行きテントを張った。珍しく雨が降っていた。少し離れたところにあるコンビニにコーラとカップ麺を買い、晩酌をした。やはり街に帰ってきたらコーラである。雨は強めに降っていて、テントに雨が当たる音が煩わしかったが、疲れていたのですぐに寝ることができた。
朝は7時ごろに目覚めた。朝ごはんに昨日買っておいたカップ麺を食べようとし、お湯を沸かしたが、全部ひっくり返してしまった。もう一度お湯を沸かし直し、朝ごはんを済ませてテントをたたみ始めた。テントをたたみ終わる頃に、バイクに乗った男がやってきた。少し強面な感じだったが、「私はハルバルガスから歩いて帰ってきた。今日はバスでウランバートルに行く。」と言うと、「後ろに乗れ。」と言うので、乗り込んだ。彼は私をバイクでバスターミナルまで連れていっただけでなく、バスの中で食べる軽食が必要だろうと察し、コンビニまで連れて行ってくれた。これがモンゴル男児の理想の姿なのだろう。彼にバスのチケットの買い方や、発車時間まで教えてもらった。9時になりバスチケット売り場が空いたので買いに行った。パスポートを渡してから5分くらいかかっていたので、何か問題でもあったのかと思ったが、問題なく購入できた。
バスは行きと違ってスムーズに進んだ。8割くらいは寝ていたので景色もほとんど見ていないが、歩いている時に散々見たのでもう十分だった。途中、例の篠原ともえ似のおばさんがいる食堂に立ち寄り、山盛りのツォイワン(モンゴル風焼きそばのようなもの)を食べたことだけ記憶に残っている。16時ごろにウランバートルに到着し、バスに乗りゲストハウスに向かった。当日まで個室にするかドミトリーにするか迷い、結局ドミトリーを選択したが、6人部屋を一人で貸切りだったので、ドミトリーを選択して正解だった。結構人気のゲストハウスだと思うが、シーズンオフなので全然客がいないのだろう。近くのスーパーに食材を買いに行き、テントや寝袋類を乾かした後眠りについた。久しぶりに近代的な建物の中で寝たので、落ち着かない気分だった。
カラコルムでの疲れがたまっていたので、起床して12時くらいまでは本を読んで過ごしていた。お腹も空いたので、街に繰り出した。どこか良い飲食店があれば良いのだが、どれも高そうで入れなかった。結局ゲストハウスに戻りながら先ほど通った飲食店に入った。結構繁盛している店だった。オレンジのシャツを着た男が接客をしていた。注文をしようとするが、机の近くに来るのではなく、遠くのカウンターから注文を取るスタイルだったので指差しでは注文できなかった。仕方なく私から近くに行き注文しようとした時、「あれ?日本人ですか?」という流暢な日本語が聞こえてきた。オレンジ服のおっちゃんは流暢に日本語を喋った。かなり昔に日本の大学に留学していたそうだ。彼は親切に料理の説明をしてくれた。羊の炒めたものを頼んだ。量は少し物足りなかったが味は美味しかった。「25年ぶりに日本語を喋ったよ。」「日本人が来てくれて嬉しい。」と喜んでくれて私も嬉しかった。「いつでも来てね。」と言ってくれたので、また帰国する前にでも行こうかなと思う。帰りに韓国スーパーで買い物をしたが、高くついた。モンゴルは近年のインフレの影響で、輸入品の価格は日本より高いのだ。
帰って少し寝てダラダラしていたら突然電気が消えた。停電したようだ。まだ外が明るかったので良かったが、1時間以上電気がつかないままだった。買い物に外に出ようとすると、受付の女の子が、「電気が止まってオートロックが動かないから帰ってくる時は連絡してくれ。」と言うが、whats upなどのSNSをやっていなかったので、幸か不幸かInstagramを交換した。次の探検に備えてオートミールやコーラを買った。帰ってきたら停電は直っていた。