モンゴル旅行記#3【ダランザドカド~ゴビ砂漠 4/3~4/7】

海外

ついに、ゴビ砂漠のあるウムヌゴビ県の県都ダランザドガドに行く。モンゴルに来た一番の理由はこのゴビ砂漠に行くことにある。7時過ぎにホステルを出た。バスが渋滞にはまり、バスターミナルに着いたのは8時30分ごろだった。「ダランザドガド行きのバスチケットを買いたい。」と言うと、しばらくした後、「売り切れだ。」と言われた。ダランザドガド行きのバスがそれ程混むとは想定外だった。仕方がないのでどこか違う所に行こうかと調べていると、初老の男が話しかけてきた。最初はタクシーの客引きかと思ったが、どうやらバスのキャンセルが出ないか聞いてくれるらしい。しばらく待っていると、キャンセルが出たらしく、乗れることになった。乗車前に私は彼と固い握手を交わした。周りの人々は私たちを見て賞賛(?) の拍手を送り、辺りは暖かい空気に包まれた。ダランザドカド行のバスの運賃は、45,000Tgで50,000Tg請求された。チップとして多少は払うつもりでいたので、別にそれはいいのだが、バスの運転手に40,000Tgしか渡していなかったがそれでいいのだろうか。それはさておき、私の力だけではバスに乗ることはできなかったので彼に感謝である。彼はおそらく耳が聞こえない。モンゴル語を解さない私にも、彼の喋る言葉が、言語の形を成していないことはわかる。それでも彼は、困っている観光客の助けをしたり、タクシーの運転手をしたりして一人前に生活しているようだった。多少運賃を取られても、彼の行為に文句をいう者はいなかった。モンゴル社会は優しさで成り立っているのだ。
バスは順調に進んだ。途中の食事休憩で注文の仕方が分からずバスに乗り遅れそうになった。19時ごろにダランザドカドへ到着。ホステルに行くと、いつものようにドアが開いていなかった。窓をノックすると、他の宿泊客が中にいれてくれた。どうやらオーナーは私をバス停まで迎えにいっていたようだ。モンゴルではそういうシステムなのだろうか。
booking.comでは残り一つになっていたのだが、なぜか3人部屋を一人で使うことになった。冬は観光客がいない分、単価を高くして1人部屋にしているのだろうか。ホステルのオーナーは夫婦で、妻の方は英語の教師をしているらしく、流暢な英語を話した。片言の英語しか話せない私にはかえって聞き取りにくいのだが、聞き返しても嫌な顔することなく話をしてくれた。彼女は、これまでホステルに来た日本人の話をしてくれた。ここに来る日本人などほとんどいないので、記憶に残っているのだろう。荷物を降ろし、ゴビ砂漠に行くための4日分の食料を買いに行き、軽く下調べをして眠りについた。ホステルのオーナーは二人ともとても気さくでいい人たちだった。荷物を置いていくことにも了承してもらった。これで大分楽になるだろう。

7時に起床した。体調はかなり良かった。ハードな4日間になると思うが、幸先は良さそうだ。持っていく荷物とそうでない荷物を分けて、8時に朝ごはんを食べた。朝ごはんは品数も多く、野菜ジュースまでついていたので良かった。バランスのいいまともな食事をとれるのもこれで最後だ。人生で最後のまともな食事にならなければいいのだが…。
出発は9時過ぎだった。ダランザドガドの街は思いのほか大きく、街を抜けるのに苦労した。5kmほど歩き、ようやく建物のない地帯に出た。この辺りも誰かの所有地らしく、鉄柵で囲まれている場所が多かった。中を突っ切ろうと思ったが、出発早々トラブルになるのも嫌なので、迂回して行った。2時間ほど歩くと、人も家もなくなり、いよいよ砂漠らしくなってきた。時々いる家畜の集団も、オルホン高原では牛と馬が多かったが、ラクダがメインになった。ラクダは馬や牛と比べても大きく、威圧感があるので近寄りがたい。出発時間の遅れを取り戻すべく、なんとか努力して足を運んだ。ゴビ砂漠は礫砂漠なので、かなり歩きやすい。順調に歩を進めた。14時ごろから雲行きが怪しくなってきた。まさか砂漠で雨は降らないと思っていたが、少しすると結構強めの雨が降ってきた。何で砂漠に来てまで雨なのだと思ったが、春は天候が荒れやすいらしい。かなり気分は落ち込むが、止まっている時間はないので、休憩時間を惜しんで歩き続けた。遠くでは野生のラクダが、雨の中必死に歩いている怪しい日本からの侵入者を監視していた。15時30分ごろには雨も止み、快適に歩くことができた。途中ラクダを見つけては近づこうと努力したが、20mほどまで近づくと明らかに威嚇してきていたので諦めた。こんな辺境で襲われたら確実に死んでしまう。結局19時前まで歩き、35kmほど稼いだ。もう少し歩きたかったが、また雨が降ってきたのでここで終了。周りには何もない。加えて圏外なので連絡も取れない。少し不安だが、凶暴な動物もいないので、まあいいだろう。今日の行動中に会ったのは、放牧中の遊牧民一人だけで、草原地帯と比べるとかなり居住人数も少ないのだろう。明日天候が好転すれば朝早くに出てなんとか50kmほど歩きたいところだ。

キツすぎて記録をつけることができなかったので、記憶があやふやである。日没の瞬間まで歩き、目的地の2km手前まで行くことができた。今日中に到着し、夕暮れの砂丘を楽しんでから、復路に着く予定だったが叶わなかった。

街から20km地点を過ぎたあたりから圏外になり、ゲルもほとんど見かけなくなった。シーズンオフなので観光の車も通らない。早朝に歩くのは非常に快適だった。地平線から昇ってくる太陽を眺めながら鼻歌でも歌いスキップしながら歩いていた。しかし、9時頃を過ぎると状況は一変する。気温は早朝から20度以上上昇し、一気に地獄と化す。灼熱の中懸命に歩いた。灼熱と言ってもまだ春なので気温は25度にも満たないと思う。それにも関わらず暑い。5分も歩けば喉が渇いてくる。見通しが甘かった。砂漠において2日で75km以上歩くと言うのは想像よりかなりきついようだ。分厚い厳冬期用の靴下を履いていたせいか靴擦れがひどく、途中からサンダルに履き替え、時々砂漠のトゲトゲした植物に足を貫かれながら歩いた。途中でなぜか水が流れているところがあったので水を補給した。昨日の雨の影響なのだろうか。2Lほど補給したが、後にもっと補給しておくべきだったと後悔することになる。何はともあれこの水がなければ死んでいただろう。11時ごろになると、幻覚なのか、空が反射しているのかはわからないが、自分の左側の地平線の奥に湖が見えるようになった。思わずそちらの方向に向かってしまいそうになるが、グッとこらえて目的地の方角へ歩き続けた。
砂漠で私を苦しめたのは暑さだけではなかった。広大な砂漠では、人間の方向感覚すら当てにはならなかった。何も考えずに歩いていると、5分もすれば目的の方角から90度以上外れた方向へ歩いている。歩いているときはコンパスが手放せなかった。20秒に一回はコンパスを確認し、方角がずれていないか確かめる。そして一時間に一回は位置情報の取得できる場所を探し、現在地から目的地への方角を確認し、コンパスのメモリを修正する。疲弊しきった状況でこれらの作業をするのはかなりしんどかった。
その後も何も変わらない景色の中を歩き続けた。昼を過ぎると、30kgを超えるザックを背負い続けている肩が悲鳴を上げ始め、30分とザックを背負っていられなくなった。頻繁に立ち止まっては、無限に広がる砂漠を目にして絶望した。歩き続けるモチベーションは、意地だけだ。「ゴビ砂漠に行ったけど、きつ過ぎて途中で引き返しました。」なんて言ったら、探検部の各方面から糾弾されることは想像に難くない。18時ごろに小高い丘で軽食をとってからは、永遠に奥田民生の『さすらい』を聴きながら歩き続けた。アウトドア中に音楽を聴くことは、出来れば避けたいが、気を紛らわすものがなければ歩き続けられなかった。誰もが苦い記憶を思い起こしてしまう曲があると思うが、私はこの曲を以後半年は聞くことができなかった。この後はほとんど記憶に残っていないが、気の狂ったような自撮り写真だけが、フォルダに残っていた。砂丘の5kmも手前になると、礫砂漠から、砂砂漠に代わり、砂に足を取られ、歩くペースも格段に落ちた。日没と同時にテントを張り、死んだように眠った。

起床したのは6時ごろだった。日の出の前に歩き始め、砂丘で日の出を迎える予定だったのだが寝過ごした。一回は4時に起きたのだが、しっかり2度寝どころか3度寝をかました。人間の適応力はすごいもので、2日もすれば砂漠でも熟睡できるのだ。急いで支度をして歩き始め、7時ごろにモルツォグ砂丘に到着した。ゴビ砂漠に砂丘はほとんどなく、モルツォグ砂丘も小規模な砂丘だったが、苦労して来ただけあって、感動もひとしおだった。しばらく散策してから、朝食に辛ラーメンとコーヒーを食した。目的を達し、達成感から一気に疲れが来たが、時間もないので8時にはダランザドカドにむけて出発した。今日中にダランザドガドに近づいておかなければ大変なことになる。2日間苦労して来た道程を引き返すというのは気が重かった。この日は結局21時前まで歩いていた。しかし、3日間景色がほとんど変わらないため、3日目に歩いていた場所がどこだったか、何があったかは全く思い出せない。途中でハリネズミの死骸を見たことだけは記録に残っていた。日没まで歩いて、ダランザドカドまであと45kmだった。これでは明日とてもたどり着けないので、夕食を食べてから真っ暗な砂漠を1時間ほど歩いた。キャンプ地からダルンザドガドまでの距離はあと39km。どうなるだろうか。
テントを張った後、中でくつろいでいると、外に動物の気配を感じた。どうやらここに人がいることを感づいたらしく、一定の間隔でこちらに吠えてきている。イヌ科の動物なのはすぐにわかったが、犬なのか狼なのかは分からなかった。砂漠に狼はいないと思い込んでいたが、下調べをしたわけではなく、確信はなかった。近くに人が住んでいるような明かりも見当たらず、犬であるという確信も持てなかった。1時間ほどじっとしていたが、威嚇は止まらず、こちらも投石で対抗した。しかし逆効果で、刺激してしまっただけだった。埒が明かないので、周辺から石を集めていつでも投げられるような場所に置き、荷物でバリケードを作った。綿密に襲われたときのシミュレーションをした後、勝算がついたので眠りについた。仮に襲われても、返り討ちにできる算段はついていたので落ち着いて寝ることができた。

5時30分ごろに起床した。朝起きるとのどの渇きがひどかったので、500mlほどの水を一気に飲み干した。砂漠の冷気によって冷やされたキンキンの水を飲み干すのは非常に気持ちよかったが、同時にこの砂漠において無駄に水を消費してしまったという罪悪感に苛まれた。昨日の夜吠えてきていた動物は、その後1時間ほど吠え続けていたが、いつの間にか居なくなっていた。外に出てみると、1kmほど先に、小さなゲルがあったので、そこで飼われている犬が吠えてきていたのだろう。ゲルに住む遊牧民は、誰もいないはずの砂漠に向かって、自分の犬が吠え続けているのを聞いて、何かいるのかと恐怖したに違いない。
砂漠での最後の朝食を済ませて6時30分頃に出発した。朝の涼しいうちに15kmほど歩いたと記憶している。この時点ではまだ余裕があった。荷物も出発時から15kg近く軽くなっている。街まではあと25kmほどだ。遠くに街らしきものがうっすらと見えるようになり、インターネットも不安定ではあるが、つながるようになった。まだ時間は10時頃だ。普通に歩けば、6時間もすれば到着できる距離だった。余裕に思えたが、ここからがしんどかった。照り付ける強い日差しと闘いながら進む。遠くに街が見えてしまうのがかえって悪影響なのか、全く街に近づいている気配がなく、一層疲労がたまる。加えて、水の消費が激しい。朝の時点で2Lはあったはずだが、残り15km地点で1Lを切っていた。暑さと疲労で15分も歩くと、限界が来てしまう。何とか力を振り絞り、30分歩いて1時間休憩するルーティーンを繰り返す。ボトルを片手に歩き続けるが、極度の乾燥と日光により、30秒ごとにのどがカラカラになっていた。希望は2日目に遭遇した水源だけだったが、枯れてしまったのか、通らなかったのかはわからないが、見つけることは出来なかった。
意識が朦朧とする中、2日前の自分を責め立てた。今回の装備には、贅沢なことに、700mlのコーラを2本持ってきていた。途中でコーラを飲みたくなる時が絶対来ると思い、出発前に買っておいたのだ。1本目は暑さに負けて、1日目の日中に飲んだ。この時は苦しかったので、まだ納得できる。2本目は2日目の夜に星を見ていたら、いい気分になり飲んでしまった。疲れ切ったときのために持ってきていたコーラを、娯楽のために飲み干してしまった自分を恨んだ。どうせなら10本でも20本でも買っておくべきだった。歩いている際に考えていたことは、街に着いた後に何を食べるか、それだけだった。それまでゴールを今日泊まるホステルにしていたが、現在地から一番近くにあるスーパーを調べ上げ、そこをゴールに設定しなおした。
街まで10kmほどの地点に差し掛かった時、バイクに乗った男が近づいてきた。目を凝らしてみると、男は銀行強盗が着けるような目だし帽を被っていた。こんな砂漠にも盗賊がいるのか。抵抗するような力は残っていないので、要求されれば全てを放り出して、命だけは助かろうと決心した。男が私の前に止まり、何か言葉を発した。敵意は感じられない。どうやら盗賊ではないようだ。砂漠では目だし帽は普通の格好なのだろうか。その後親切に道案内をしてくれたので、誤解して申し訳ないと思ったが、紛らわしい格好をするのはやめて欲しい。

街に近づくにつれ、遊牧民の数も多くなり、しばしば砂漠の中を疾走するバイクを見かけるようになった。こちらに気づいて助けに来てくれないかと願いつつ歩いた。1台だけこちらに近づいてきて、話しかけてきたが、最後の意地が邪魔をして、乗せてくれとは言えなかった。しかし、そのあとすぐに、残り7km地点で力尽きた。立ち上がる気力ももうないので、しばらく寝ようと思い、横になった。寝ていると、しばしばバイクが近づいてくる音が聞こえ起き上がるが、すべて幻聴だった。1時間ほど寝ていただろうか。明らかにこちらにバイクが近づいてくる音が聞こえる。間違いなく幻聴ではない。起き上がってみると、バイクに乗った遊牧民の男が近づいてきていた。彼は、私の状況を一瞬で悟ったのか、私の目の前で止まるとすぐに、「乗れ」とジェスチャーをした。バイクの後ろに乗りながら、みるみる街へ近づいていく光景を目にして歓喜した。街から2kmほどの地点で降ろされた。どうやらここからは道の悪い道路を行かなければならず、バイクではいけないようだ。もう歩かなくていいと思っていただけに、2kmというのは果てしない距離に思えたが、そのあとすぐに通りかかったトラックが荷台に乗せてくれた。街の中心部で下車し、死ぬ思いで最寄りのスーパーに行き、2Lのコーラとアイスを購入した。店に出るや否や、コーラを一気飲みした。勢いよく飲みすぎて、おそらく半分くらいはこぼしていただろう。正気に戻ったころには手がベタベタになっていた。干からびた状態からコーラを一気に流し込んだので、体が拒否反応を示していた。
ホステルに戻ると、オーナーが迎えてくれた。「モルツォグ砂丘まで歩いて行ってきたんだ。」というと、言葉を失っていた。どうやら車で行っていると思っていたようだ。荷物を置き、4日ぶりのシャワーに入った。水圧が弱く、4日溜まった汚れを落とすのには不十分だった。灘温泉にある打たせ湯くらいの水圧が欲しかった。シャワーから出て少し休憩しようと思い、ベッドに横になった。起きると23時を過ぎていて、近くの飲食店やスーパーは全て閉まっていた。調べてみると、2kmほど先のスーパーは24時間開いているようだった。もう24時を過ぎているので、遠出は避けたかったが空腹に耐えられず外に出た。ダランザドカドの街は割と都会だが、街灯は多くない。スーパーのある外れの通りに入っていくと、若者たちが集団で座っていた。チンピラなのかはわからないが、今更引き返すわけにもいかないので、静かに通り過ぎた。スーパーはモンゴルにしてはかなり大きく、日本の菓子なども売っていた。買い物を終えて、急ぎ足で宿に戻った。爆食いする気でいたが、激辛のカップ麺に口をやられ、あまり食べることは出来なかった。