モンゴル旅行記#1【日本~ウランバートル 3/24~26】

海外

なぜモンゴルに行こうとしたのか。それは私にもわからない。ネットで調べても魅力的な観光地など出てこない。モンゴルのアピールポイントは馬と草原とチンギス・カン。それだけだ。ただ、モンゴルは日本と地理的に近い位置にあり、歴史的にも割と関わりがあったのにもかかわらず、相撲以外でモンゴルの名前を聞くこともないし、モンゴルに観光に行ったという人もあまり聞くことはない(最近VIVANTが流行った影響で多少変化はあったのかもしれないが)。ただ探検部という性格上、そういった人気のない土地に惹かれてしまったのだ。そういったわけで、モンゴルのどこに行きたいとか、なにをしようとか、そんなことは何も考えず、とりあえず往復の航空券と初日の宿だけ予約した。航空券をとってしまえばもう引き返すことは出来ないし、あえて自分を追い込むスタイルで、モンゴルに行かなければいけない状況を作り出した。私は追い込まれなければ基本的に15時間以上寝てしまうので、思い立った時に行動を起こすことが大事なのである。

東京に帰省してそのままモンゴルに向かった。モンゴルに行くことは詳しく言っていなかったので、大荷物を背負って帰省してきた息子を見て両親は驚いただろう。「モンゴル草原やゴビ砂漠で探検をしてくる。」と言っても、特に反対はされなかった。寛容なのか、理解が追い付いていないのかどちらなのかはわからない。数日間で、必要な装備を買い足すなど、準備を整えた。
3月24日の昼、成田空港へ向かう。100Lのザックで東京の電車に乗るのは憂鬱だ。明らかに迷惑そうな顔を向けられる。空港に到着し、チェックインカウンターに向かうと、思いのほか混みあっていた。周りのおそらくモンゴル人であろう集団に囲まれて列に並んだ。見たところ、日本人はおそらく海外出張に出かけるのであろう男性と、大学生らしき女子グループ数人だけだった。日本人がモンゴルに関してどれほど無関心なのかうかがえる。並ぶ時間は長かったが、チェックインも出国審査もスムーズに進んだ。今回の飛行機は格安航空ではなくモンゴル航空の便をとったので(格安の直行便はない)、機内食に加えてビールまで嗜むことが出来た。久しぶりの快適な空の旅だった。
ほとんど時間通りに、チンギスハーン国際空港に到着した。モンゴルの杜撰な出国審査を終え、モンゴル国に入国した。時間はすでに21時を過ぎていた。空港は雑然としていて、白タクの客引きがいるだけだった。この空港は都市部から50km離れているのにもかかわらず、シャトルバスも出ていないので、カウンターに行き、自分でタクシーをチャーターしなければいけない。国内唯一(おそらく)の国際空港で、最近新しくできた空港であるのにサービスが全く行き届いていない。カウンターに向かおうとすると、海外でありがちな白タクの男が声をかけてくる。お金をおろしている間もずっと話しかけてきてうるさいので、「How much?」と聞くと、「Hundred」と返ってきた。私はこれを100,000Tg(約4500円)であると理解していた。相場より少しだけ高いが、到着が夜だったこともあり、早く寝たかったのでその男についていくことにした。彼の車に向かっていると、トヨタ車の横を通るたびに、「TOYOTA!」と言ってくるので、さすがにうっとうしかったがとりあえず愛想笑いだけはしておいた。その後も、客引きをしに行くだけなのに、「飲み物を買ってくるから待っていてくれ。」と嘘をつかれ、10分以上待たされてフラストレーションがたまったが、22時過ぎ頃にやっと出発することが出来た。後部座席には日本帰りの女の子が座っていて、少し日本語も喋れたので、観光地について少し教えてもらった。運転手の男も自分が観光に行った時の写真を見せてくれたが、「これどこ?」と聞いても、「遠くだ。」と答えるだけで、具体的な場所については何も教えてくれなかった。ウランバートルの道路はいつも混雑しているので、結局到着したのは24時前だった。支払いをしようとすると、何やら紙を見せてきた。150,000Tg書いてある。「さっき100,000Tgって言ってなかった?」と聞いてみるが、全く通じていない。おそらく、彼はhundredという単語しかわかる数字がないので、さっきは適当に言ったのだろう。言葉も通じないので交渉も出来ない。渋々150,000Tgを払った。幸先の悪いスタートだ。海外で信じていけない人種は、片言の日本語をしゃべる奴と、トヨタやポケモンを連呼する奴と相場が決まっている。皆も肝に銘じておいてほしい。面倒くさがらず公式のタクシーを使うべきだった。宿はマンションの中にあるらしいが、入り口が分からない。大通りから少しそれた薄暗い場所にあるので結構怖い。とりあえずうろうろしてみるが見つからない。しょうがないので近くを通った人に話しかけると、同じホステル泊まっている人だったらしく、案内してくれた。ホステルの管理人は英語も喋れてスムーズにチェックインできた。結構綺麗で、朝食付きで3泊4500円くらいだった思う。

翌朝、質素な朝食を終えてとりあえず街に出た。気温は-1度だが、それほど寒くはない。寒さを覚悟して外に出れば、そこまで寒くないのだ。これはよくある現象で、山岳部の部員たちも-10度を下回る雪山より、神戸の冬の街の方が寒いと言う。人間の感覚も気の持ちようで何とかなるのだろう。街の中心にあるスフバートル広場に行った。広大な広場には、人はほとんどいなかった。広場の正面にはチンギス・カンなどの歴代皇帝の像が鎮座していて中々迫力があった。夏には広場に露店が並ぶらしいが、冬だったので何もなかった。現金がなかったので、両替所が林立する通りに行った。レートは1円=24.5Tgくらいだったと思う。レートはキャッシングとそれほど変わらないし、客引きもうっとおしいし、詐欺にあう可能性もあるのでキャッシングで済ませるか、オフィシャルな両替所を使うのがよいだろう。
その後、お腹がすいたのでモンゴルで最初のご飯を食べた。モンゴルナショナルフードという店に入った。吉野家などの馴染みの飲食店もあったが、海外にいるときは出来るだけローカルな店に行くのが私のモットーだ。とりあえず、写真を見ておいしそうなタクトゥリタンという料理を頼んだ。モンゴルの飲食店は、カウンターで料理を頼み、番号が呼ばれたら料理を取りに行く方式が多いが、モンゴル語の数字が全く分からないので自分の番号が分からない。しかし、モンゴル人は親切な人が多く、他の客が教えてくれたり、店員が手招きしてくれたりした。料理に関しては,ここ数年食べた料理で一番まずかった。初端でチョイスを間違えた。しかもモンゴル料理ではなく韓国料理だった。店名はモンゴルナショナルフードなのに。ほかの客は全員完食していなかったので、残そうと思ったが、飲食店で残したことがないというのが私の唯一の自慢だったので何とか完食した。モンゴルはなぜか韓国系のものが多い。スーパーもコンビニも韓国からの輸入品ばかりである。店頭に並んでいる商品は、ほとんど見覚えのある物ばかりで、おそらくモンゴル独自の商品はほとんどなかった。
昼食の後はチンギスハーン博物館に行った。英語の説明を表示するためのQRコードがあったが、読み込んでも何も表示されず、何の展示かわからなかったが結構面白かった。モンゴルは、モンゴル帝国時代の歴史くらいしか誇れるものはないので、歴史博物館にはかなり力を入れている。もうこの日でウランバートルには飽きてしまった。夕方あたりに宿に引き上げて、手作りのサンドイッチとビールを流し込みそのまま眠りについた。

この日も起きたら9時になっていた。とりあえずスフバートル広場に向かう。ここは街の中心に位置しているので、どこへでもアクセス出来て便利なのだ。しばらくゆっくりして、サンザイトルゴイに向かうことにした。サンザイトルゴイとは、太平洋戦争に勝利した際の戦勝記念碑である。4kmほどあるのでバスを使ってもいいのだが、バスのカードを買える場所がわからない。コンビニにカードのマークがあるので、カードがあるか聞いてみても、ないと言われる。どうやらバス停の近くの小売店でしか売ってないみたいだ。仕方ないので、歩いて目的地に向かいながら、バス停の近くの小売店で、「カードを買いたい。」とジェスチャーで言ってみた。最初の店は、カードがあるのだが、売ってくれない。何かと思い、カードを翻訳にかけてみると子供用のカードしか置いてなかった。隣の店に入るが、ドアが開かない。ただの引きドアなのになぜか開かない。中にいたおばさんに開けてもらった。何かコツがあるのだろうか。カードが欲しいと英語で言ってみると、英語が多少通じた。カードが3,600Tgで、おそらく5,000Tgチャージしたのだが、10,000Tg払わされた。もしかしたらぼったくられたのかもしれない。正直よくわからないので、そのまま退散した。せっかくバスカードを買ったが、郊外を歩いてみたかったので、結局歩いてサンザイトルゴイを往復した。途中にある川はまだ凍って氷河のようになっており、冬のモンゴルの過酷さを物語っていた。サンザイトルゴイは小高い丘の上にあり、街を一望することができる。頂上まではそこそこの距離があり、20分ほどの登山を強いられた。見下ろすと、高層ビルがそびえたつ後ろには草原が広がっていた。やはり社会主義の名残なのか、質素な建物が並んでいるところが多い。景色もよく、人もいないのでいいところだった。

流石にお腹が空いたので、丘を下り、目についた店に入る。ここには小籠包のようなモンゴルの食べ物があったので、それを注文。案の定番号は聞き取れないので、手招きで呼んでもらう。アメリカとかなら来ないならそのままにされそうだが、しっかり気を遣ってくれるあたりモンゴル人は優しい。出てきた食事は、全て美味しかった。旅先の食事においてチョイスを間違えると、大変不味いものを食わされることになる。結局ガイドブックに載っているか、安牌な食べ物を頼むのがいいと思う。

その後は街中を当てもなくぶらぶらしていた。ウランバートルの街を歩いていて心が安らぐことはない。車道では常に車同士が争い合っている。ウランバートルは人口50万人の都市として設計された。しかし、現在人口はモンゴル全人口の半分の170万人が居住している。そのせいか、交通は常に混雑しており、さながら戦争である。信号なんかは大通り以外関係ない。大通りでも、赤信号で一人の歩行者が渡り出すと、全員一斉に渡り始め、歩行者信号が青になると、車が動くという謎の現象が起きたりする。後ろの車は赤信号など関係なく前の車に「早く行け」と言わんばかりにクラクションを鳴らし続ける。これは公共交通機関も関係ない。バスも歩行者がいなければ平気で信号無視だ。こういう国に行った時に必要となるのは、とりあえず一歩踏み出すことだ。轢かれるのを恐れて待っていてはいつまでも渡れない。まず、轢いてみろと言わんばかりに堂々と踏み出す。そうすれば止まってはくれないが、意外と車の間を縫って渡ることができる。海外で日本の常識は通じないのだ。

明日からカラコルムに向かう。カラコルムにはOD缶など売っていないので、アウトドア店にガス缶を買いに行った。中華製のガスしか売っておらず、バーナーに取り付けるとガス漏れするし、外す時はとんでもない勢いでガスが吹き出す。かなり心配だが、これで行くしかない。一旦宿に戻り小休止してから、昨日閉館していた国立博物館にリベンジしに行った。ここは石器時代からモンゴル民主化の歴史についてまで、様々な展示がしてあって結構面白い。しかし、かなり大規模なので、すべて回るのはかなり疲れる。途中5回ほど休憩を挟み、やっと全て回り終わった。疲れたので、宿に眠りに帰った。起きたら18時になっていた。
一回バスに乗ってみたかったので、明日のカラコルムへのバスチケットを買いにバスターミナルへ向かった。バスはかなり混んでいるが、東京で19年間生活した私からしたらこんな170万人規模程度の都市の混雑など大したことはない。ただ一つ怖いのは、スリである。万全の体制をとっているので、取られることはないと思うが、常に目を光らせて監視する。ターミナルの窓口に行き、バスチケットを購入しようとするが、窓口の女性はモンゴル語で何か言うだけで、あまり相手にしてくれない。近くにいた親切なおじさんが、翻訳を使い、明日の11時前にくればチケットを買えると教えてくれた。どうやら事前の購入は窓口ではできないみたいだ。無駄足だった。