富士山、宮之浦岳と日本の象徴的な山々を訪れたかったものの、台風の影響で行くことができなかった。私の心の中には「日本一〇〇を制覇する」という夢が揺らいでいる。そこで「日本一危ない国宝」として知られる三徳山三佛寺を訪れる遠征を企画することにした。今回の遠征では様々な出来事が起こったため特に記憶に残った場所だけ書こうと思う。
1日目(10/26)
朝8:00に星田駅に集合した私たちは三徳山三佛寺へと車を走らせた。三徳山三佛寺は標高899.9mの三徳山にあり、山々に囲まれていた。なんだか神聖な雰囲気が漂い、この場所に参拝することが一種の修行のように感じられる。出発前に入山届の記入、服装のチェックをし、最後に「六根清浄」と書かれた輪袈裟(わげさ)を身に着けた。全員の準備が整い、登山を始めようとした。その時、受付をしてくれたおじさんが真顔で「死亡事故が起きているから気をつけろ、生きて帰ってこい」と言った。その言葉を聞いた瞬間、少し怯えてしまった。しかしそれが逆に緊張感を持って登るきかっけになったのかもしれない。宿入り橋から道を進むと最初の難関、かずら坂が待ち構えていた。この坂は木の幹が絡み合った急勾配な坂であり両手両足を駆使して登り切ったが、さらに厳しい試練が待ち構えていた。ほぼ垂直な坂道を鎖頼りに上る道である。この道は足をかける場所が限られており、手が鎖から離れる瞬間の恐怖に思わず震え上がった。目の前の困難を1つずつクリアすることだけを考え、進み続けると文殊堂というお堂が姿を現した。ここからの景色は絶景だったけれど安全策などは何もなかった。足を一歩踏み外せば即死であった。縁側に座り、しばらく足をぷらぷらさせて景色を楽しんだが、その時の足がスースーする怖さは忘れられない。続いて鎖場や急勾配な坂を乗り越えていくと岩に覆われたお堂が見えてきた。その裏側には洞窟があり、洞窟を通り抜けると遂に投入堂に到達した。崖に寄り添うように佇むその姿は、まるで神秘的な絵画のようだった。投入堂は平安時代から変わらぬ姿を保っているという。帰りは来た道を戻らなければならず、気を緩めるわけにはいかなかった。往復にかかる時間は約1時間30分。それほど長い感じはしなかったけれど、命を懸けて登ったこの道のりは充分な達成感をもたらしてくれた。これまで多くの山に登ってきたけれど、白山の次に怖かった山だと思う。



三徳山の後は大山オートキャンプ場を目指した。このキャンプ場は山の中にあり、道中には街灯が少ないため太陽が沈む前に到着することが重要だった。しかし、道中の寄り道や迷子になってしまったこともあり、結局暗くなってからキャンプ場に到着した。何度も道を間違え、急な予定変更があったりと多くのご迷惑をかけてしまった。遠征を計画する際にはキャンプ場の場所の確認、道中で考えられる問題点を事前に挙げることが大切だと痛感した。次回の遠征ではスムーズに楽しめるように準備を整えたい。
2日目(10/27)
朝の6:00に目を覚まし、温かいスープを飲んで大山に向かった。早朝にもかかわらず麓には多くの登山客がいて、活気に満ちていた。天気は残念ながら曇り空で少し肌寒さを感じた。行きは夏山登山道を選んだ。この道は分岐が少なく歩きやすかったが、6合目まで続く階段にはかなり体力を奪われた。頂上に近づくにつれて天気は悪くなり、最終的に雨が降った。頂上では雨が止んだものの霧に覆われていて景色は完全に見えなくなっていた。帰り道は行者ルートを選んだ。この道は登山客ともほとんど出会わず、自分のペースで進むことができた。道中には大きなお寺があり、古の雰囲気を醸し出し、心を和ませてくれた。天気に恵まれなかったが、自然の中での時間は特別でした。次回は晴れた景色を楽しめることを願う。



大山の後は「日本一美しい廃線」と称される倉吉廃線に向かった。泰久寺駅跡から線路に沿って歩いていくと、竹林と線路で構成された世界が現れた。さらに奥に進むとトンネルが現れた。残念ながら中には入ることができなかったため私たちの探検はここで終了となった。それでも、倉吉鉄道がかつてこの場所を走っていたこと思い描きながら、散策を楽しむことができた。
今回の遠征では2つの「日本一〇〇」を達成した。「日本一〇〇」の称号を手に入れたい方はぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?