八ヶ岳(赤岳)遠征【2024.8.25-8.27】

登山

経緯

長い夏休みも、もう中盤に差し掛かり、7 月から待ちに待った無人島企画が到来しようとしていた。これまでの企画とは違い,飲み会をしたり花火をしたり海水浴をしたりと夏を満喫できる企画であり、同期のみんなも多く参加する企画であったため期待に胸を膨らませていた。僕は海パン、ラッシュガード、ゴーグル、マッチングアプリを水中で行うための防水スマホケースなど、順調に無人島の準備を進めていった。ところが、太平洋に生まれた台風 10 号は無慈悲にも無人島企画の日に本州に上陸しそうであるとの予報がされていた。無人島企画に対し誰よりも真剣に考え、プランを練っていた翔太郎さんは本当に心苦しかっただろうが、本土に帰る船が出航できない理由により、結局 25 日の朝方に無人島企画の中止判断がされた。その代わりではあるが、康太さんが PL の八ヶ岳遠征の募集がされていた。25 日神戸出発の、急遽たてられた企画ではあったが、短時間に 6 人も参加者が集まった。こんなに短時間に参加者が集まる探検部員のフットワークの軽さはさすがとしか言いようがない……こういった事情により、今回の八ヶ岳遠征は幕を開けた。

8.25

7 時にバイトを終えた僕は、パッキングと夕食を済ませ早足で六甲道のファミマの前に向かった。翔太郎さんと康太さんと午後 9 時ごろに合流し、約十分後にはハイエースを運転した斎藤さんが登場した。
4 人を乗せたハイエースは山手幹線を東へ進み、「なんで芦屋に戻ってきたんだよ、9 時 30 分芦屋集合でよかったやん」と軽く愚痴をこぼしながら斎藤さんは自身の実家である芦屋通過し、元紀さんを 10 時前に猪名寺駅で、悠生さんを 10 時 30 過ぎに豊中で拾った。悠生さんは 10 時 20 分ごろまで9時間バイトをした後に急いで集合場所に来ていたためか少し疲れた顔をしていた。そうして 6 人を乗せたハイエースは長野に向けて夜の高速を駆け抜けていった。

8.26

探検部の部員なら誰もが知っていることだが、ハイエースの積載量は非常に優れており、遠征時に荷物を運ぶ際に不便を感じることはまずない。しかし、シートが固く、リクライニングも十分でないため、睡眠をとることに関しては最悪の選択肢である。実際、車内では私を含めた全員がまともに眠れない状態のまま、午前4時頃に美濃戸口登山口に到着した。まだ夜明け前で真っ暗だったが、登山装備に着替え、パッキングを済ませ、軽く朝食をとり、雨が弱まったのを見計らって車でより赤岳に近い美濃戸登山口へ向かうことにした。

美濃戸登山口までの道のりは非常に険しかった。私道で舗装されておらず、でこぼこしており、一両分の幅しかないため、木々が車に軽くぶつかるような場所もあった。斎藤さんはこの道をハイエースで進むのは危険だと判断し、途中で引き返すことを決めた。再びスタート地点に戻ったが、少し進んだ先で道が舗装されているのを確認し、康太さんが再び車を運転して美濃戸登山口まで行けると提案した。康太さんが運転を引き受けることを条件に、斎藤さんは車での進行を許可し、最終的に美濃戸登山口の駐車場に無事到着し、登山が始まった。

元紀さん、康太さん、私の3人は数日前に北岳に登っていたため、足腰には若干の疲労が残っていたが、それを感じさせないペースで行者小屋まで進んだ。行者小屋を過ぎると、元紀さんが睡眠不足でほぼ限界に近い状態だったが、鉄パイプで作られた人工階段を淡々と登り続けた。雨が降った後で道はスリップしやすく、浮石も多かったため多少の危険はあったが、大きなトラブルなく進んだ。午前10時前には赤岳山頂に到達し、そこから見える富士山や日本アルプスの風景を堪能した。何度見ても富士山は美しく、「富士は日本一の山」という歌詞がふと頭に浮かんだ。他の山々に比べても圧倒的な標高差が、この歌詞に込められた理由なのだろうと感じた。

山頂では元紀さんの体調も回復したが、今度は悠生さんが疲労困憊の状態でしんどそうだった。幸い、時間には余裕があったため、ペースを落として下山を開始した。私は音楽を流して自分の気持ちを保ちつつ、眠気と戦いながら歩いた。赤岳は本来1泊2日で行うのが一般的だが、全員がほぼ寝ていない状態での日帰り登山を成功させ、無事6人全員で下山できたのは大きな達成感があった。

下山後はいつものように温泉に行き、汗を流して体の疲れを癒した。下宿生活をしている私は普段シャワーで済ませているため、温泉で肩までお湯に浸かる瞬間が最高に気持ちよかった。この日ばかりは、のぼせる寸前まで湯船に浸かり、体をゆっくりと休めた。

その後、午後4時という中途半端な時間ではあったが、登山で消耗したエネルギーを補給するために味噌ラーメンを食べに行った。元紀さんは大盛りのつけ麺を注文し、平気な顔で400gを超える量を軽く食べきっていた。北岳遠征の際もご飯を何度もおかわりしていた彼の食欲には驚かされた。

食事を終えた後、白樺湖付近のホテルに到着した。1人1泊2000円という格安の宿泊施設であったが、内装もきれいで広さも十分あり、快適に過ごせた。康太さんにはこのホテルを予約してくれたことに感謝したい。冷房はなかったが、標高の高い白樺湖は涼しく、避暑地としての長野の魅力を十分に感じられた。

夜には軽くお酒を楽しみ、手持ち花火で夏の夜を満喫した。私は季節ごとの風情や行事を楽しむのが好きなので、花火をやれたことは特に心に残った。無人島に行けなかった悔しさも、この花火で少し和らいだ気がする。花火を片付けた後、全員が疲労と心地よい酔いの中で深い眠りに落ち、2日目が終わった。

8.27

前日の疲労が影響したのか、全員が起床したのは朝8時過ぎであった。この日は特に予定が決まっていなかったが、康太さんの強い推薦により、百名山の一つである車山に登ることになった。康太さんの話では、駐車場から徒歩で1時間以内、標高も100メートル程度しか登らなくていいという軽い山だということだった。天候は少し心配だったが、テンクラがBであることもあまり気にせず、霧ヶ峰に向けて車を走らせた。

正直、車山をなめていた。短時間で簡単に登れると考えていたが、実際には天気が悪く、霧も濃く、道中の岩場は滑りやすくて非常に歩きにくかった。予想以上に苦戦しながらも無事に登頂することができたが、体が冷えてしまっていたため、下山後は北岳遠征の際には味わえなかった「ほうとう」を食べに行くことにした。値段は少し高めだったが、かぼちゃやジャガイモが大きく、食べ応えがあり満足感が非常に高かった。さらに、みんなでシェアした馬刺しも絶品で、登山で消費したエネルギーを一気に補給できた。

遠征において、体を追い込みカロリーを消費する登山そのものも楽しいが、その後の現地での食事が、遠征の真の醍醐味ではないかと感じた。ほうとうのようなヴィーガンが喜びそうな野菜たっぷりで健康的な料理に、心も体も満たされた。食事を終えた後、私たちは神戸に向けて高速道路に乗り、帰路についた。

感想

急遽建てられた企画ではあったが、大きなトラブルなく円滑に進めることができたのは、PL である康太さんのおかげなので、非常に感謝している。自分も康太さんみたいに段取りよく計画して、なるべく多くの山を登りたいなと感じた。