経緯
いつかの日に塾講師が「日本一標高の高い山が富士山であることは誰でも知っているが、二位の山はどこか知っている人は少ないだろう、だから何事も一位を目指さなきゃならない」と話していた。その日から私はいつ二位の山を聞かれても答えられるようにその山の名前をずっと覚えている。それどころか登頂してやったとマウントをとることさえできる。私は北岳に登った。
8.19
この日は移動&前泊。小林が PL の遠征はちゃんと前泊があるので安心できる。小林の車で移動したのだが、瀬川を再試後にそのまま拾うために六甲道で集合をして、グランド六甲に入っているパル・ヤマトでテント泊のための買い出しをした。品ぞろえはあまり良くないが、駐車場が地下であるためこの日のような雨の日には最適。ホテルのある甲府にむかって出発。0時以降に高速を下りたため、深夜料金で非常にお得。ホテルの独特な間取りに対してエアコンの配置が適しておらず、エアコンの下を奪い合う形で就寝。
8.20
計画としては、この日のうちに広河原登山口から頂上まで登り、北岳山荘のテント場に泊まるという計画。登りが 1700m あり、雨の影響で非常に苦しい一日目となった。序盤からかなり急な上り坂があり、雨も強かったと記憶している。道中で転倒し、頭から血を流している人がいるという情報があり、実際に横を通ったのだが、ヘリの音もかなり近づいていたので助かったのだと思う。また、道中で同志社大学のワンダーフォーゲル部と出会った。話では十日間ほどかけた縦走の最中らしく、尊敬の念を抱くとともに十日間はいやだなと率直に思った。
8.21
長い登りを終えた後の白根御池小屋や冒頭の写真の北岳の肩を越えてついに北岳山頂に到着。流石に日本二位は伊達じゃない。大変だった。かなりガスっていて、何も見えなかったのが残念だが、気持ちを切り替えて北岳山荘を目指して出発。道中の記憶あまりなし。まあまあ遠かった気がする。なんやかんやで北岳山荘のテント場に到着下手に料理をしてコッヘルを洗うのも大変なので、今夜の晩御飯は全てお湯さえあれば食べることのできるカップ麺・パックご飯にレトルトカレーの二つ。改めて日清の偉大さに感謝する。そんなこんなしているうちに少し晴れてきて、景色が見えるように。トイレが近いゆえの異臭を除けばかなりええ感じのテント泊であった。
8.22
昨日の夜から予兆があったが、本日は晴天。最高に気持ちのいい登山日和だった。この日はただ下るだけというわけではなく、農鳥岳なども登る縦走路だった。昨日の疲れもあまり感じず、気持ちの良い登山を楽しんでいたのだが、最後に待っていたのは、2200m ほどの急勾配を下る地獄のような下りだった。下りは長すぎるゆえにあまりよくないとは思いつつも、いち早く下りの地獄から抜け出したい一心で一人先行してしまった。正直に言って、登りよりもはるかに精神的にきつかったのが今回の下りだった。その分、中間地点である小屋を見つけた時や、終着点であるバス停に到達したときには、筆舌に尽くしがたいほどの喜びを感じた。無限に続くかと思っていた苦行が終わる瞬間ははなんて感動的なのだろう。人間の原始的な「帰巣」という喜び、興奮を味わうために私は登山をしているのではないのかと思うほどだった。精神と体力、さらにリスクとの引き換えで得られる、漫然と生きているうえでは味わえないエクスタシーこそが登山の醍醐味なのではないだろうか。無事下山後、怪しげなラドン温泉という昭和の香りをムンムンと漂わせている温泉に入り、その後存分にトンカツを喰らった。4 杯ものご飯をおかわりしたのは人生で初めてだった。この日の宿は一日目と同じ。
8.23
この日は帰宅&観光。瀬川の提案で、かけ放題のマグロ丼のお店に。瀬川は本当に観光情報に明るくて、スマホに搭載してほしいくらいである。その後、竜ヶ岩洞という商業化された洞窟を訪れ、改めて探検家の担う重要な役目を再認識し、みかんソフトを食べて帰宅。非常に有意義な観光だった。
感想
結論として、北岳は最高である。二位はダメなんかじゃない。北岳から見えた富士山は本当にきれいだった。この翌週に登った八ヶ岳から見た富士山もきれいだった。さらに翌週の富士山は台風の影響もなく無事登れるといいな。なんたって去年はコロナに罹って登れなかったのだから。絶対に登りたい。